産む産まないは女の権利か?(日記番外編)

昨日か「中絶」議論がさかんだったが、これに関しては「井上達夫加藤秀一の論争」がとても参考になる。結論は平行線で、この議論が彼らのような知識人をもってしても難しい問題であることがよくわかる。
この論争を扱った本(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326652977/249-7820853-2871559)もあるが、この本自体は残念ながら、著者の力量不足で中途半端である。

本の紹介はさておき、私は中絶には反対である。
「産む産まないは女の権利」ではなく、「生まれることが胎児の権利である」と思っているからだ。
先のブログ内で

「人間にとって性行為は「子どもを作るための行為」でしょうか? 性行為は主に「子どもを作るために」行われているんですか? おそらく違うでしょう。人間の性行為は生殖だけでなく、コミュニケーションや愛情表現の手段として広く用いられており、「元々子どもを作るための行動」と言い切ることには、おおいに違和感を感じます。」

という記事もあったが、少なくとも「性行為が妊娠に結びつく」ことを大抵の人は知っているはずだ。知っていて、妊娠したあげく「だって私の性行為は子どもを産むためじゃないのだもの・・」と言って見ても、たんに「自己抑制のない人」か「子ども」の発言としか感じられない。
「快楽の性」「コミュニケーションの性」をフェミニズムがよく主張するが、それ自体を全面的に否定しようとは思わない。ただ、「快楽」に徹したいのであれば、確実な不妊施術をして、産めないからだになればいいのではないか。中絶と費用もたいして変わらないだろう。そんな、努力もしないで「できちゃった」「殺しちゃった」は少々人間としておそまつな感じが否めない。